卓球台が目を引く川辺直哉建築設計事務所のオフィス。ビンテージのイームズのチェアをはじめ、さまざまなテイストのインテリアは、濡れ色の床ともマッチする。打ち合わせスペースはラウンジのようにリラックスでき、余白を感じられる空間だ。建築家のアイデアを生み出すオフィス環境について、街と空間という視点からお話をうかがった。
川辺直哉建築設計事務所
業種:住宅や店舗などの建築・設計
創立年:2002年1月
入居時期:2015年1月
社員数:6名
個人住宅や集合住宅、小規模店舗をはじめ海外の物件の設計なども手がける川辺直哉建築設計事務所。2002年に独立し、現在5名のスタッフとともにさまざまなプロジェクトを手がけている。
「作風といったものはあまり意識していません」と語る代表の川辺さん。依頼を受けた仕事は依頼主のオーダーのままつくるのではなく、自分なりの視点を加えて別の価値を生み出すことがこだわりだ。
「この施主とつくったからこそこの建築ができた。だからこそ時間がたっても褪せない価値につながると思うし、特別な主張をしなくても『我々の事務所のデザイン』という印象が残る。感覚なもので僕自身も明確には自覚していませんが、そういうところがあると思います」
オフィス空間は、ワークスペースとミーティングスペースが本棚で仕切られており、作業に集中しやすい環境が整えられている。中央にあり誰もが目を止める卓球台は、とくにデザイン的意図があって置かれたわけではないというが、不思議と空間にもなじんでいる。
この物件の前は白金、その前は参宮橋にオフィスを構えていたというが、どんなきっかけで移転を決めたのか聞いてみると……。
「実は特別なきっかけはなくて、結果的に5〜6年に1回のペースで引っ越しをしていたんです。ひとつの場所に長くとどまると、ひたすらモノが増えていっていらないスペースにお金を払っている気がして。今本当に必要なものは何かを判断するためにも、定期的に引っ越ししていました」
川辺さんによれば、移転をするとモノの整理ができるだけでなく、場を変えることで仕事に与えるメリットがあるという。
「場所を変えるとクライアントも変わりますね。今いる神保町は以前と比べると企業が多く、これまではあまりなかった設計監修の仕事なども依頼されるようになりました。このあたりにオフィスを構えている設計事務所はわりと少ないというのもあると思いますが、オフィスの場所と仕事の内容は緩やかですが関係していると思いますよ」
そんな考えもあって、プロジェクトで関わる場所には、可能であれば拠点(支所)をつくることにしていて、長野や由比ヶ浜、カンボジアのプノンペンなどにサテライトオフィスを構えていたことも。
オフィスがあるのは神保町のど真ん中、スポーツ用品店や書店が立ち並ぶにぎわいのある場所で、閑静な住宅街の白金とはまさに真逆の雰囲気。
「丸の内のようにワーカーだけでなくさまざまな人が訪れるので、お店もたくさんあるし、買い物をしにくる人や学生、働く人がごちゃごちゃ混ざっている感じがいいですね。5階なので窓から見ていても活気があるし。ノイズ感があるのも逆に集中できるので、気に入っています」リノベーションされた同物件の魅力については、「適度な古さ」と「塗装や照明などのベースのセンスのよさ」と語る。
「ほどよい古さがあるものって、素材感がちゃんとあるんですよね。いろんな家具ともなじむし、手を加えるところが少なくて済むのは魅力だと思います」
以前に比べて30㎡ほど広くなったというオフィス。仕事中には“この場所の2倍くらいの大きさで……”といった会話がよく交わされているそう。自分が今いる空間が、設計をするときや広さを想像するときの基準になるのだと教えてくれた。
「これまでオフィスは働く効率を最優先に考えていましたが、それではいけないと思ったんです。居心地のいいゆったりした物件をつくるためには、ゆったりした環境に身を置いていないといけない。料理をしない人がキッチンを考えるのが難しいのと一緒で、自分たちがつくろうとするスケール感や大きさの基準が身の回りにあることは大事ですね」
余白が増えたことで、模型も出しておけるし、個人の移動距離とともにコミュニケーションが増えるというメリットも。ここに来てから、ひとつのプロジェクトを複数のスタッフで担当するようになったという。
「知り合いの建築家で“テーブル理論”というのを提唱している人がいます。テーブルが大きくなると、テーブルの大きさに比例してその上のモノも増える。同じように、事務所のスペースが大きくなれば、プロジェクトが大きくなり仕事も増えるという考え方です。場所を変えることで新たな可能性も広がるし、何より自分を変えるよりも環境を変えたほうが早い。会社を大きくしたいというような明確なビジョンはないんですが(笑)、変われるきっかけを常に持っていることは大事。ここに来たのも、まさにそういうことなんです」