REWORK

新しい働き方 / 営み方を実践するメディア

編集者であり、釣り人であり。「共感」を軸に地域の未来を見つめる。指出一正×馬場正尊

三菱地所による有楽町エリアの再構築プロジェクト「Micro STARs Dev.(以降:micro)」が始動しました。microには、建築、編集、メディアアートなど、様々なジャンルの外部プロデューサー陣が参画しています。プロデューサー陣とコラボレーションしながら、まだ価値の定まりきらない(=micro な)人・アイディア・コト・モノ同士が交わり、磨かれていき、次の時代を担うベンチャーが生まれる仕組みを有楽町からつくり上げていくプロジェクトです。

その舞台として、2020年2月には「有楽町『SAAI Wonder Working Community』(以降:SAAI)」が誕生。ワークスペースにはとどまらない「ワーキングコミュニティ」として、多様な価値観を持った人が集いアイディアをカタチにするための会員制施設です。

新有楽町ビル10階の会員制コワーキングコミュニティ「SAAI」。画像提供:三菱地所株式会社

今回はプロデューサーの一員である馬場正尊が、「ルーツ オブ クリエーション」をテーマに、microのプロデューサーのみなさんを訪ねていくインタビューシリーズをお送りします(アーカイブはこちら)。

3回目におたずねしたのは、雑誌『ソトコト』編集長の指出一正さん。ソトコトといえば、「ロハス」をはじめ新たなキーワードを社会に投げかけ、近年では「ローカル」「コミュニティ」のおもしろさと可能性を追求し続けているメディア。そんなソトコト編集長の指出さんですが、実はかなりディープな“釣り人”でもあるのです。

インタビューの要所に登場する釣りというワード。趣味が人生に転機をもたらし、その先に開けていく可能性。そして現在のソトコトのテーマが生まれた過程と今後の挑戦とは。指出さんのルーツ オブ クリエーションの物語をお届けします。

指出一正さん プロフィール

1969年群馬県生まれ。上智大学法学部国際関係法学科卒業。雑誌『Outdoor』編集部、『Rod and Reel』編集長を経て、現職。島根県「しまコトアカデミー」メイン講師、静岡県「『地域のお店』デザイン表彰」審査委員長、奈良県「奥大和アカデミー」メイン講師、和歌山県田辺市「たなコトアカデミー」メイン講師、秋田県湯沢市「ゆざわローカルアカデミー」メイン講師、鹿児島県鹿児島市「かごコトアカデミー」メイン講師をはじめ、地域のプロジェクトに多く携わる。内閣官房まち・ひと・しごと創生本部「人材組織の育成・関係人口に関する検討会」委員。内閣官房「水循環の推進に関する有識者会議」委員。環境省「SDGs人材育成研修事業検討委員会」委員。国土交通省「ライフスタイルの多様化と関係人口に関する懇談会」委員。総務省「過疎地域自立活性化優良事例表彰委員会」委員。農林水産省「新しい農村政策の在り方検討会」委員。著書に『ぼくらは地方で幸せを見つける』(ポプラ新書)。趣味はフライフィッシング。

ソトコトオンライン

www.sotokoto-online.jp

釣りに目覚め、ソトコトに入るまで

馬場 SAAIの空間では、これからベンチャーの人達が新しい事業をつくり始めます。僕らプロデューサー陣がどんな経緯でこの仕事をしているのか。その原点が垣間見られたら、これから新しいことを始める人たちのヒントや勇気づけになれるかもしれないと思っています。まずは指出さんがどのように育ったのか、ぜひそこから聞かせてください。

指出 僕は群馬県高崎市で生まれ育ちました。幼少期といえば、父親がある日突然山を2つ買ってきたことがすごく印象に残っています。父親はボイラーをつくる小さな会社を経営していて、そんなに高い買い物ではないのですが、林業の会社とのおつきあいで山を買ってきたと。それに加えておじいさんが家で孔雀を飼っていたりして、「自然や生き物は買える」という概念に出合ったことが、僕の原体験として大きかった。

しかし、なぜ山を買うことが少年の僕に響いたかというと、小学校二年生の頃から魚釣りが好きになったからなんです。当時、環境庁が公害を制御するために、ブクブクと泡立った汚れた川のモノクロ映像を世の中に流していて、日本は大丈夫なのか…と不安に思っていました。放課後は近所の利根川の支流である烏川にいつも釣りに行っていて、そこで他校の子と釣り仲間になり、僕にとって川はサードプレイスになっていました。

だから、どうしたらこの川を自分の好きな魚がいっぱいいて、釣りができる状態に保てるかを真剣に考えていた。そんなタイミングで父親が山を買ってきたものですから、川も買ったらいいんじゃないか、そうすれば自分で守れるんじゃないかって思ったんです。

馬場 小学生の頃から、釣りが発想に影響していたんですね。

指出 小学生の頃はエサや毛針で釣っていて、中学校に入ってからはルアーフィッシングを始めました。高校になっても熱が冷めるどころか、どんどん釣りにハマっていった。もう本当に釣りのことにしか興味がなかったんです。

釣りの醍醐味は、魚と接触した瞬間だと指出さんは話す。自分ではないもう1つの存在と突然出合う喜び、なにかと繋がっているという強い感触があるという。

指出 釣りから派生して、次第にその周辺のアウトドア文化が好きになっていきました。駅前のアウトドア用品店に行くようになり、そこで2冊の雑誌と出会い、大きな影響を受けました。ひとつが小学館の『BE-PAL』で、もうひとつが山と渓谷社の『Outdoor』です。

そうは言いながらも思春期なので、『メンズクラブ』や『ポパイ』といったカルチャー誌やファッション誌も読んでいました。だから、東京の大学に行って『ポパイ』の編集者になろうと決意して、上智大学に進学しました。

大学では釣り部がなかったので、代わりにワンダーフォーゲル系のサークルに入りました。初めて登った山が東北の朝日連峰で、その麓の大鳥村(現在の鶴岡市)に立ち寄ったのですが、赤いトタン屋根が連なり、バス停の前にはコカ・コーラが買える雑貨屋がある風景を見て、思わず感激しました。これは「こういう場所に行ってみたい」という風景そのものじゃないかと。それまでは地方に行っても魚しか見ていなかったのですが、山登りが好きになり、山のアプローチの途中にあるまちが好きになっていきました。

馬場 そこから少しずつソトコト的な視点が始まっていったのですね。

指出 そうですね。ローカルのまち並みのかっこよさとか、東京ではつくれないクリエイティビティを感じていました。でもその当時、地域を見る視点はものすごく欠落したものだったんです。なぜなら「人」や「コミュニティ」にまったく興味がなかった。地域を「舞台」としてしか見ていなかったんです。

2019年12月 丸の内仲通り沿いの有楽町ビル1階「micro FOOD & IDEA MARKET」にて

指出 大学4年生の就職活動の時期に入り、やはり趣味の編集者になろうと『Outdoor』の編集部でアルバイトを始めました。そこから編集者の道を歩み始めたのですが、編集部のみなさんが僕を認めてくれた最初のきっかけが、『カルトQ』というテレビ番組でした。ルアーフィッシングの回があって、促されて出場したら優勝してしまったんです(笑)。

馬場 カルトQ!かなりマニアックなクイズが出題されて、いろんなジャンルのオタク日本一を決めるというあの伝説の番組ね!僕も当時観ていて建築のテーマもあったけど、これは歯が立たないわと思った。本当にすごいよなぁ。

指出 すべてコンプレックスの賜物なんですよ。中高生のときにお小遣いを持って東京の「サンスイ」という老舗の釣り具店に行っていたのですが、プロショップの店員さんとしっかり受け答えができないと恥ずかしいからと、釣り具メーカーのカタログを見てルアーのカラーチャートを全部覚えていったりしたんです(笑)。そんなことの延長でカルトQで優勝し、その優勝をきっかけに編集部に認めてもらえて正社員になりました。ちょうど時は空前のオートキャンプブームで、のちにルアーブームも来ました。雑誌もすごく売れて、広告も満稿の時代でしたね。

SAAIに展示されている指出さんの「ルーツ オブ クリエーション」。海外の釣り道具がかっこいいことも、釣りを長年続けている理由だと指出さんは話す(撮影:REWORK)

指出 ひたすら釣りやアウトドアの取材が続く毎日でしたが、ある日ふと川を見て気づいたことがありました。魚にやる気がないんです。キャッチアンドリリースを繰り返されて、魚たちの口は傷だらけで、魚は釣られても離してくれることを学習していました。人間の趣味趣向に対して、自然のキャパシティーが完全にパンクしている。だから、もっと広い視点で自然界の体力をつけていかなければいけないと感じました。

そんなとき1999年に『ソトコト』が創刊して、おもしろい雑誌だなあと思って見ていました。もう少し広いところで立ち位置を変えて編集者の仕事をしようと、2004年にソトコトに移ることにしました。

 

ローカルの魅力は「人」にあり

馬場 その当時のソトコトと今のソトコトとは全然違いますよね。

指出 その頃は「ロハス」というワードを発信していましたね。創刊編集長の小黒一三のところに話に行って副編集長で入り、僕はアウトドア誌出身だったので、エコロジーを担当することになりました。小黒から「これから『ロハス』という言葉を広めていきたい」と言われ、年に2回、ロハス発祥の地のコロラド州ボルダーでロハス会議に参加したり、ロハス的なアメリカのスタートアップチームを取材したりしていました。

馬場 ソトコトのロハス特集は本当に印象深かったなあ。次の時代という感じがしていた。

指出 そうですね。インパクトが強い言葉だったと思います。そうした中で、いくつかの出来事を通じて、自分の意識に少しずつ変化が生まれてきました。

そのひとつが、2008年にNPO法人ETIC.さんから連絡を受けて、地域で新しい仕事をつくる若者を応援する「地域若者チャレンジ大賞」の審査員をしてほしいと声をかけられたこと。審査員のみなさんは地域コミュニティーの一員として、ローカルで新しいエコシステムやベンチャーを生み出している錚々たるメンバーでした。みなさんと交流するにつれて、ローカルでフリースを着て頑張っている若い世代のインテリジェンスな人達がたくさんいることがわかってきた。

奇しくも2009年に地域おこし協力隊が制度化されて、3.11に繋がる流れの中で、勇猛果敢な若者たちが、どんどん中山間地域にぶつかっていく姿を見て、少しずつ社会の変化を感じていました。ソトコトが「人」を見るようになったのは、このあたりからです。2012年にフルモデルチェンジをして、「ソーシャル&エコ・マガジン」というコピーに変えました。

馬場 その頃からソトコトの質感が変わりましたよね。モデルチェンジは3.11がきっかけではなく、その前から社会の変化を感じていたんですね。

指出 はい。変化を感じていたから、震災以降になんの迷いもなく「これからはコミュニティーだ!」と言い切ることができました。自分対地球の話をしている場合ではない。あまりにも遠い目標ではなく、自分の前の人が幸せになる考え方を共有していこうと。

こうして2011年に編集長を小黒からバトンタッチされ、「ローカル」「ソーシャル」「コミュニティ」といったテーマへシフトさせたわけですが、全然売れませんでした。それまでは「熱い地球を冷ますんだ!」というテーマだったから、いきなり「コミュニティ」と言われて読者もきっとびっくりしましたよね。そんなわけでリニューアルから半年くらい低迷していたのですが、2012年12月号が1週間で完売になり、重版したんです。

馬場 突然何が起こったんですか?

指出 「若い農家が日本を変える」というテーマの特集をつくったんです。この号をつくる以前に写真家のMOTOKOさんが滋賀県長浜の若い農家チームと引き合わせてくれて、彼らが東京や大阪のクリエイターとつながって新しい挑戦をしていることを知り、日本各地の若い農家にスポットを当てたらものすごく売れたんです。

馬場 完全に人が主役になった瞬間なんだ。

指出 そこからリアルなローカルの人達を表紙にすることが多くなりました。それ以前はとにかく書店で目立つように、代理店のアートディレクターにお願いしてアートな表紙をがんばってつくり込んでいました。そういったことを一切やめて、集合写真にしたんです。

ソトコト2020年1月号(撮影:REWORK)

指出 他地域にも同じような気持ちで取り組んでいる人がいることに気づいてくれたらいいなと思い、2012年からそれを続けています。すると「この表紙を見てすごく安心した気持ちになりました」という手書きのメッセージが送られてくるようになりました。

馬場 表紙を飾るのが、特別な誰かじゃなくてアノニマス。雑誌はいかに強い憧れをつくって部数と広告を伸ばすかという構造だったけど、ソトコトでは「共感」にシフトチェンジしたんですね。そこが今までの雑誌がやらなかったことなんだろうなぁ。

指出 表紙の人たちが誰かはわからないけど、何かいいなあと思う。民藝のように人もアノニマスの良さがあって、その場所でないと醸し出せない魅力がある。僕はそれが好きなんですよね。

 

関係人口と関係案内所

馬場 指出さんが発明した「関係人口」という言葉は、日本という国に巨大なインパクトを与えましたよね。先日も、東京の人口一極集中の是正のために、2020〜2024年は関係人口を推していくと、約1000自治体が関係人口の施策に取り組んでいくことがニュースに出ていました。どのように関係人口という概念を思いついたのでしょうか。

指出 僕が提唱者と言われていますが、実際にはアノニマスの言葉であり、僕の著書やソトコトの特集の結果、関係人口=指出となったというのが実際の認識です。ただそう言っていただけるのはありがたいので責任の元でお話すると、今までは「観光」か「移住」か、行政も地元の人も地域に来る人を0か100かで見定めていました。しかし、その尺度はわかりにくくなっていますよね。

僕自身も単に観光で地域に訪れるわけではないし、移住しようと思って行くわけでもない。かなり曖昧な感覚で移動して、地域との接点を持っている。馬場さんだったら、東北芸術工科大学の教授をつとめて毎週通っている山形がそうかもしれませんよね。1〜99の度合いをもっと大事に見た方がいい。それを関係人口とよんでいます。

指出 もうひとつ、2016年に書籍『ぼくらは地方で幸せを見つける』(ポプラ社)で、観光案内所をバージョンアップさせて、人と人との関係を案内する「関係案内所」をつくろうと書きました。関係人口と関係案内所、この2つが僕がいま一番伝えたいことですね。

馬場 関係案内所とは、どういった場所なのでしょうか。

指出 カフェでもいいし、ラーメン屋さんでも本屋でもゲストハウスでもいい。その機能が持続可能な方法論があった上で、滞留や接触を生み出す仕組みがあるものを関係案内所と呼んでいます。ホームのようなアウェーのような、曖昧さが残っている場所。一方的に誰かにとって居心地がいい場所だと他の人は入りづらいので、お互いがニュートラルであり、“ちょっとお邪魔している感”があった方が、意外と中と外の人が繋がりやすいことがわかってきました。

最近では、駅周辺に関係案内所をつくってみたいと思っています。去年、JR東日本さんからご依頼いただき、20〜30代のルミネ女子のみなさんに「旅のひとつ先にあるもの」というテーマで講師をさせていただいたところ、参加者のみなさんから異口同音にこんな声が飛んできました。「いくら旅をしても、人に出会えないんです」と。

確かにそうですよね。電車で旅をして駅前に行っても、本当のローカルの人たちは車でバイパスをビュンビュンと飛ばしているのですから。旅行に行くと、まちで出会う人たちはそこの広報担当のような人で、みんながだいたい同じ人に会っている。本当はその先にいるまちの人に会っていくことが大事であり、そこから関係人口が生まれていく。若い世代が鉄道で旅に出て、関係人口になる一歩手前でもどかしく感じて帰ってきているならば、きっと駅周辺に関係案内所があればいいはずなんです。

馬場 とてもいいですね。観光だけじゃなくて、いろんな人が来ていい場所。地元の人が来てウダウダしていてもいい。地元の人自体が関係の素材であり、関係の入り口なんですもんね。そう考えてみると、関係案内所には何があればいいんだろう。

指出 関係案内所の話をすると「うちもつくります」と言って、関係案内所という看板をつくってしまうのですが、それじゃない方がいいと思うんですよね。関係を案内しようとすると構えてしまうし、関係案内所がテーマにならない方がいいと思います。

馬場 もしかすると、すでに存在するあそこが関係案内所だった、という場所があるのかもしれない。

指出 ありますね。まさにぼくが通っていた釣具店がそうでした。僕より10歳上のお兄さんも僕より年下の中学生もいて他世代と接点を持ちやすく、学校も仕事も関係なく釣りの話だけしていればいいし、買い物をしなくてもそこにいることが許される居心地の良さがあった。なので、個人店のような価値観に少し戻していくのも、いいかもしれません。営業の迷惑にならない範囲ですけどね。

microプロジェクトの拠点として、丸の内仲通り沿いの有楽町ビル1階にオープンした複合型店舗「micro FOOD & IDEA MARKET」

新しい情報の届け方。有楽町での新たな挑戦

馬場 イベントの講師や関係案内所のプロデュースなど、雑誌からどんどん仕事の領域が広がっていきますね。

指出 そうですね。実はソトコトは2020年から隔月誌になります。なぜなら、月刊ではみなさんの目に留まるのがたったの3週間。隔月にすればもっと読んでもらう時間が担保できて、誌面を通じた出会いも増えていく。

さらにこれからは、情報が届かない場所にどう届けていくかをもっと考えなければいけません。だから地域に出向いて、週に4〜5日くらい講演をやっています。伝える方法は、紙じゃなくてもいいんですよ。地域にある空気感やおもしろさが全国に広がっていくことが大事なのですから。

だけどビジネスとして稼ぐことも大事なので、その半分に減った分で立体的な仕事を増やしていく。国や地方自治体のみなさんからのご依頼で関係人口の講座を開いていますが、最近ではご依頼が増えて多様化していることもあり、オンラインメディアとオンラインサロンを始めました。

オンラインサロンでは月1回の特別対談をやっていて、今は約100人のメンバーが楽しみに見てくれています。オンラインサロンの空間の中で、ソトコトの伝えたいことやみんなが聞きたいことを共有していく。それをもう一つの軸にしていきたいと思っています。

馬場 多面的な方法でソトコトのメッセージを描いていく。これからどんどんプロジェクトが増えていくかもしれませんね。

指出 実は、今回のmicroプロジェクトもそんな活動のひとつだと思っています。古田秘馬さんからご依頼を受けたとき、僕のミッションは、SAAIやmicroマーケットが関係案内所のような機能になっていくことを思い描きました。

例えば、中山間地域や1724市町村のおもしろい人達がやってきて、有楽町のみなさんと新しく繋がっていくのは、すごくいいことだと思うんです。まちのサイズによって、もちろん関係案内所のサイズや機能も変わっていきます。ここを都会型の関係案内所として、いろんな実験をしていきたいと思っています。

Micro STARs Dev.  ウェブページ

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